第5章 道化役者

 箱根湯本の温泉宿の離れ、十畳二間つづき、奥の間の中央に大きな紫檀の机、その上にも、その辺りの畳の上にも、沢山な書物や書類が散らかっている。
 床の間を背にして南向きに、その机に向って端座して、熱心に調べものをしている老人は、頭髪はいぶし銀のような灰色で、うしろからみると、中央より少し下よりに円く禿げている。大きな童顔、絶えず微笑が浮かんでいる。口辺の髭は、全体の風貌に、威厳よりは、むしろ親しみを加えている。その長い生涯の間、かつて不正と邪悪にくみすることなく、童児の清純を失わずに、今日まで過してきて、しかもよく磨かれ、訓練された叡智をたたえた老人――その服装を改め、杖をもたせて、深山流水の辺りにたたせれば、そのまま南画になる、といった感じだ。この国における憲法学の最高権威の一人、佐々木惣一博士である。
 その傍には、若い学者が二人、書物からの書きぬきや原稿の清書やらをしている。立命館大学教授磯崎辰五郎と、元和歌山高商教授大石義雄である。
「大分暗くなった。大石君。電燈をつけてくれないか。」と博士はいった。
「それとも、お茶でもいれてもらおうか。今日は馬力をかけたので、たいへんはかどったようだな。」
 谷底にあるので、日の暮れるのも早い。電燈をつけると、もう夜である。
 そこへ、近衛が黙って入ってきた。頭が欄間につかえそうである。
「先生、お精が出ますね。」
と近衛はいったが、その声には元気がなかった。
「二、三日見えないので、どうしたかと、さっき噂していたところです。何かまたあったのですか?」
 と、博士はいった。
 近衛は、しばらくためらっているようだったが、やがて言った。
「先生、まことに突然で申しわけないんですが、こんど急に、内大臣府が廃止ということになりまして。」
 博士の童顔が、突如、緊張でひきしまった。
「では、この仕事は、憲法の方はどうなるんですか?」
 近衛は黙って、眼は開いているが、瞑目している形である。
「廃止になるといっても、それはいつのことです?」
「ここ二、三日のうちです。」
「二、三日」と、博士はくりかえした。「それは何事です。何度も辞退する老人をわざわざ引っぱり出してきて昼夜兼行で仕事をさせておいて、突然、内府が廃止になったから、もう必要がなくなったというんですか。それが学者を遇する道ですか。政治家というものは、そういうもんですか。」
 それは、ふだんのこの老人には、想像もできない烈しさだった。実は、この烈々たる闘志こそ、かつての反動の嵐の中で、天皇機関説を守り通して、一歩も退かなかったものである。
 お茶の支度に入ってきた宿の女中は、この空気に驚いて、茶道具をおいて出て行った。
「内府を廃止するのが、いいか悪いかは別問題として、私どもが内府の御用掛として憲法の改正という大切な仕事をつとめている最中、私どもの仕事の都合を考えないで、天降りに、内府廃止を決定するというのは、私どもの仕事をすぐやめろということです。せめて廃止の期日くらいは、私どもの都合をきいた上で、きめるべき筈のものじゃありませんか。私どもは、もう必要がないというなら、今晩でも京都へ帰ります。」
 こういって博士は、近衛の顔を見たが、彼は相変わらず無言である。しかしその無言は博士のことばに十分承服しながら、それをどうすることもできない現在の近衛のおかれた地位を語っている。いや訴えているように思われた。
「しかし、いまここで、あなたを責めたところではじまらない。」
と、博士は呟くようにいった。
 二人は、しばらく、無言で相対した。
 博士のうしろの床の間には、宿の主人の心づかいか、この欽定憲法の生みの親ともいうべき伊藤博文の掛軸がかかっている。

    雨晴梧葉忽秋風 雲断峰頭夕照紅
    浴後憑欄且呼酒 群山一碧落杯中

 かつては伊藤公も、ここに籠って憲法の草案を練ったのだ。それに比べて、いま、彼のおかれている地位が、なんとみじめであることか。
「あなたの立場を考えないで、わたしも少しいいすぎたようだ。どうも、年をとると気が短くなっていかん。」
と、博士はいった。
 女中がふたたび現われて、お茶をついだ。
 近衛が、この仕事に、〝最後の御奉公〟としてとりかかったのは、10月4日、京都から帰った日だった。総司令部に呼ばれて、日本における自由主義者を招き、憲法を自由主義化する仕事を始めよといわれた。
 そこで、早速、木戸内大臣と打合せ、天皇の委嘱をうけて旧師佐々木博士にきて手伝って貰ったのである。
 このことが新聞に出ると、近衛に対する非難は内外から起った。
 東大の宮沢俊義教授は、「内大臣府が憲法改正の仕事をとりあげたのはすこぶるおかしい。近衛公の勘違いの結果らしい。」
といった。
 ニューヨーク・タイムズの批評はもっと手きびしいものであった。
「長期かつ恐るべき日本のアジア侵略期間中、何回となく首相に就任した近衛は、戦犯として牢獄に放りこまれても、誰一人として驚くものはあるまい。彼が日本の新憲法を起草する適当な人物であるならば、ラヴァルをしてフランス大統領に、そしてゲーリングをして連合国の頭首に就かしむべきである。」
 さらに、10月3日、連合軍総司令部は、つぎのような声明を出した。
「日本憲法改正起草に関し、近衛公の果す役割について重大な誤解があるものの如くであるが、近衛公の選定は連合軍当局によってなされたものではない。東久邇内閣当時、近衛公は首相を代理する副首相として、日本政府は憲法改正を要求されるであろうという通告をうけたが、その翌日東久邇内閣は崩壊した。連合軍当局に関する限り、このことについて近衛公は、これ以上の繋りをもたない。」
 これが近衛公の三十年にわたる政治生活の終止符となった。

 ことここに至った以上は、大急ぎで一応まとめて、まだ内府のある間に、奉答文を出すほかはない。それも、各自の責任を明らかにするために、近衛と佐々木博士がそれぞれ別に出すことになった。
近衛は大綱を簡単にまとめ、博士は学者として、百ヵ条より成る改正要項に、理由書をつけて提出した。それは11月23日で、その日をもって、内大臣は廃止となった。
 これが、彼の〝最後の御奉公〟の最後であった。
 11月19日、新たに、荒木貞夫以下11名に逮捕令が出た。その中には、日米交渉で近衛の仇敵となった松岡洋右もふくまれていた。本庄繁大将は、翌日自決した。
 12月に入ると、有馬頼寧、広田弘毅その他彼の親しい人たち7名に逮捕令が出た。その中には、梨本宮殿下も入っていた。

 海抜二千八百尺の軽井沢は、賑やかな夏が去り、紅葉の秋があっという間にすぎて、冬がくると、この世は、生物からたちまち、鉱物に変る。
 山も川も、樹木も家も、道も畑も、すべてが氷の中にとざされてしまうばかりではなく、空気そのものも、刺をもった結晶となって、さわると、冷いよりは痛い。
 木の間にも、小鳥の姿はめったに見られない。虫の声も聞えない。家の中の鼠さえもいなくなる。
 人の住んでいる家はこの季節にはごくまれであるが、煙突の煙でそれとわかるだけである。それも、寒さという高い壁でしきられた独房の中で、孤立した生活を営むほかはない。
 秘書の塚本も、ここへくると書生であり、看護婦であり、コックであり、下男でもある。
 今日は、朝から浅間が荒れている。
 起きるとまず主人の部屋の尿器にたまっている小便を検査するのが、塚本の第一の日課である。
 これは旅行中でも、汽車の中でも、欠かしたことはない。それで少しでも異状を見出したときは、すぐ何か注射をする。たいていの薬は、いつでも用意してある。
 主人が、いま何を望んでいるか、何をたべたがっているか、主人の顔色を一目みれば、彼にはすぐ分るのだ。
 いつか、夜中に、突然、主人がしるこが食べたいといった。彼はそれを5分とかからないでつくって出したのには、主人も驚いたが、実は到来ものの羊羹をすりつぶしてお湯をかけただけである。
「また荒れてますな。」といいながら、二十年も出入している魚常が、いい鯉が手に入ったといって、わざわざもってきてくれた。
「浅間があばれると、よい知らせがあるというじゃないか。」と、塚本はいった。
 近衛も、勝手もとに顔を出して、
「そうだよ、常さん、息子が帰ってくるのかも知れんぜ。」
といった。魚常の長男は、応召して北支で終戦になったまま、行方不明だった。
「そうだと有難いんですが、お殿さま、そういえば、こちらの若殿さまも……」
「まだ消息がわからないんだよ。終戦のすぐ前に会ったという人はあるがね。」
 それから彼は、魚常をちょっと待たせておいて、奥へ引っこむと、色紙を一枚書いて持ってきた。それには、
「飛鳥来親人」
と、書かれていた。何年も前から、せがまれていたものだ。
「お礼だよ。」といって渡すと、魚常はそれを押し頂いて、幾度も頭を下げて帰って行った。
 午後になると、塚本は、眼がまわるほど忙しかった。明かるいうちに主人の大好きな鯉こくをつくるために、鯉の料理をしておかねばならぬ。主人の書斎をはじめ、食堂から便所にいたるまで、暖房しなければならぬ。風呂も沸かさねばならぬ。凍てついた漬物桶から、白菜を掘り出すだけでも一仕事だ。
 浅間はしずまったが、曇天のせいで、日の暮れるのが早い。
 晩餐はいつもより早く了えた。しかし、すぐには、食卓から離れようとしなかった。
「義」と近衛はいった。他人のいるところでは、「塚本」と姓でよぶが、二人きりや家族の前では、いつも昔の呼び名を使った。「この冬は、どこでくらそうかな。ここもいいが、今年はもっと奥の方がいいね。」
「結構でございますね。」
と、塚本がいった。
 二人とも寒いところが好きで、軽井沢で正月を迎えたことも、これまで幾度かあった。しかし塚本には、山を好む特別の理由がある。一昨年、慈恵大学へ行っていた彼の長男文夫(主人の名から一字もらってつけた)が、学友と共に、早春の日本アルプスで行方不明となった。
 その後、彼は、あらゆる犠牲をはらって、遺骸を探したがいまだに見つからないのである。そこで彼は、山中で雪や氷にとじこめられていると、自分の体温が、どこかで眠っているその息子に伝わって行くような気がするのであった。
「上高地はどうかね。」
「あすこは駄目です。戦争中道路の手入れをしなかったもんですから。」
「平湯ならいいだろう。あすこなら、飛騨の方からでもはいれる。」
「結構ですね。」
「平湯が駄目なら、志賀高原にしよう。」
「しかし、どっちにしても、東京との連絡が困りますね。いざというときに。」
「連絡などはどうでもいいよ。」
 彼は、自分にいいきかせるように、きっぱりといった。
 つぎつぎに追加されて行く逮捕者の中に、彼の名が見出されないということは、世間ばかりでなく、彼自身にとっても、薄気味が悪いくらいだった。もしかすると連合軍の有力者の間にかくれた彼の支持者があるのかも知れぬという、希望的な観測が下せないこともなかった。
 それにしても、この冬は、自ら求めて、雪と氷の牢獄の中に、自分をとじこめてしまいたかった。それは何となく楽しい自虐でもあった。
「殿さま、風呂がわいたようですが。」
と、塚本はいった。
 近衛は浴槽につかりながら、口笛をふいていた。そのうちに、ずっと昔流行った歌の文句が彼の口からもれてきた。

 〽わたしゃ売られて行くわいな
   (とと)さんご無事で、アノ(かか)さんも
 「…………………」
 かまどに薪を入れにきた(ここでは入浴中もどしどし燃やしつづけないとすぐ入っておれなくなる)塚本は、これをきいて涙が出るほどうれしかった。これは近衛が、精神的にも肉体的にも、最良の条件にあることを示すもので、ここ数年来、ないことであった。
「義、お前には、ずいぶん長い間厄介になったな。」
と、彼は風呂の中から話しかけた。
「いったい、お前は何が目的で、こんなにまめまめしく俺の世話をするんだい。」
「殿さまのいま歌ってらっしゃるその歌をきくためですよ。これさえ聞けりゃ、どんな苦労だってすぐ忘れますよ。」
 チョロチョロと水道の蛇口から水の音が聞える(ここではいつも出しっ放しにしておかないとすぐ鉄管が破裂する)だけで、幽寂とでもいうべき静けさが、周囲をおし包んでいる。
 突如、その静けさを破って、電話のベルが鳴った。
 それは荻外荘からで、いよいよ彼にも逮捕命令が出たという知らせであった。木戸幸一も一緒だということである。
 この知らせをうけても、それほど大きなショックを受けない自分を見出して、彼は逆に、ほっとしたような気がした。この分なら死ねそうだと思った。
 初めて〝死〟は、切実な現実の問題として、彼の頭の中に登場してきた。問題は手段である。それも、前から何度も考えぬいたことだから、答はもう出ている。苦痛がなくて、確実で、見苦しくない(この点を彼は重視した)のは、薬品に限る。
 その薬品を手に入れる方法について彼はまず考えた。ふと、昨年の夏だったか、親戚の子供たちが大勢やってきたとき、昆虫の標本をつくるのに、青酸カリがほしいといって、その購入証に彼が認印を捺させられたことを思い出した。そのとき彼は、危険だからといって、余った分をとりあげて、どこかへしまった筈だ。
 彼はあちこちの抽出を片っぱしから開いて、探しはじめた。
 その抽出の一つから、古い写真が一枚出てきた。裏に「昭和十二年四月十六日、温子(よしこ)結婚前夜仮装会」と記されている。近衛家では、前からお祝ごとのあるたびに、全家族はもちろん、運転手や女中まで参加して、仮装会を催すことになっているが、これは、次女の温子が、後に秘書になった細川護貞侯爵と結婚したときの記念である。その写真には、ヒットラーに扮した彼を囲んで支那服を着た千代子夫人、女装の弟秀磨、達磨(だるま)になった温子などが写っている。温子は、特別に可愛がっていたので、彼は大変なハリキリ方で、ヒットラーのチョビヒゲを手に入れるために、車で東京中かけずり廻り、やっと浅草の有名なカツラ屋で手に入れた。その際、その店で、或る種の男女の人知れぬ悩みを解決するための毛製品が極めて巧妙につくられているのを見せられて、驚いたことも思い出した。
 その写真をじっと眺めながら、このチョビヒゲをつけた姿が、十年後の自分を完全にほのめかしていようとは、自分はもちろん、誰にだって予想できたであろうか。むしろ本場のヒットラーなら絞首台にのぼっても、本望だといえないこともない。しかし、自分の場合は、道化のヒットラーにすぎないのではなかろうか。
 これまで、自分の周囲には、いろんな人間が集ってきた。自分は、それらの人たちのさまざまな異なった意見をきき、それを比較し、総合し、その中から一つの正しい結論を導き出してその方向に、自分や日本の運命をきりひらいて行くのが、一番正しいことだと考えていた。だが、実際は、それらの人々が、よってたかって、自分のために、筋書をつくり、持ち役を定めそれにふさわしいメーキャップを自分の顔に施して、この道化役者をでっちあげてしまったのだ。
 見物はいま、自分を法廷に立たせて、自分の最後の舞台姿を見たがっている。
 しかし、自分は立たない、断じて立つものか。せめて最後の瞬間だけでも、自分の運命の手綱を人手に渡したくない。

 あのときの温子は、もうこの世にはいない。
 遠くから海鳴りのような音が聞えてくる。浅間おろしが今夜もまたやってくるらしい
 やっと青酸カリを探しあてた。密封した瓶の中に、まだかなり沢山残っている。薬品箱の中から、手頃の小瓶を見つけて、自分に必要な量だけを、それに移し入れた。
 その小瓶をポケットに収めると、恐ろしいというよりは、かえって気が落ちついてきたような気がした。
 風はいよいよ本格的になってきた。大きな竜巻きに包まれて、この家もろとも、大空にまきあげられ、浅間の噴火口の中へ、すっぽりと落っこちる――といったような妄想が、頭の中に浮かんできた。
 暖房が弱くなったのか、夜が更けてきたのか、急に手先が凍えそうに感じられてきた。すると、シベリアのどこかにいる長男文隆のことが頭に浮かんできた。
 今日きた魚常は、会うとすぐ伜のことを口にするし、塚本もあんなに死んだ子供のことばかり考えている。それに比べると自分は、自分の頭の中で占める骨肉の比重が、非常に弱いような気がする。現にこの死を決意する場合の因子としても、肉親のことは、それほど重きをなしていない。
 自分は、それほど徹底したエゴイストなんだろうか。それとも自分の中の〝血〟が、普通の一般日本人に比して、稀薄なのではなかろうか。
 いや、そんなことはもうどうでもいい。すべてが運命なのだ。
 残された問題は、ただ死の時期だけだが、出頭は16日だし、今日は6日だから、まだ十日も日がある。
 風はケロリとおさまって、何事もなかったかのようにふたたび海底に似た静けさの中に、一切が沈んで行くような気がする。
 突然、自動車の音が聞えて、それが門の前にとまった。
まさかMPじゃあるまい。今日の昼の汽車で、どこかの新聞記者がやってきたにちがいない、と彼は思った。

第4章 跳躍台

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