大宅壮一について

評論家・大宅壮一(オオヤ ソウイチ)

『男の顔は履歴書である』

大宅壮一は1900年(明治33年)9月13日大阪府富田村(現在・高槻市)に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。少年時代、各種少年雑誌に投稿、懸賞メダルを多数獲得。米騒動を煽動するような演説をしたということで、大阪・茨木中学を放校。家業の醤油屋を担いながら「専検」に合格し、旧制第三高等学校に進学。
1922年(大正11年)東京帝国大学文学部社会学科入学。新人会に所属、在学中より健筆をふるう。第二次大戦後、時代の風潮をみごとに裁断する独特な社会評論や人物評論で長くマスコミ界で活躍。自ら“無思想人"を宣言。明快な是々非々論で広く一般大衆の支持を得た。
新語づくりの名人でもあり、「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」などの造語を数多く生み出した。主な著作に、『文学的戦術論』『実録・天皇記』『日本の遺書』『世界の裏街道を行く』『無思想人宣言』『昭和怪物伝』『炎は流れる』などがある。
1970年(昭和45年)11月22日永眠。死の直前に大宅壮一ノンフィクション賞が創設され、ライターの登龍門となっている。

 著作リスト

 作品紹介「日本の遺書」

大宅昌(大宅壮一文庫初代理事長)

大宅昌 大宅昌は1906年(明治39年)10月19日、富山県魚津市生まれ。
県内で教職に従事、出版社の講演会で講師の評論家大宅壮一に見初められ、1931年(昭和6年)に結婚後、評論活動を支えた。
大宅壮一死去の翌年、1971年(昭和46年)、財団法人大宅壮一文庫を設立し、2007年(平成19年)5月24日、100歳の長寿を全うするまで終身理事長を務めた。
主な著書に『大きな駄々っ子』『ただ一人の人に』『愉しく生きる老い』『よく生きる よく老いる』『生きて花 老いて華』などがある。

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