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第48回のテーマ
 いろいろあった、今年の疲れを取る!
人名索引: なごみ系 その一
 “なごみ系ミュージシャン”集合!
「森山直太朗(ミュージシャン)」 索引件数 24件
「ノラ・ジョーンズ(歌手)」 索引件数 11件
「女子十二楽坊(ミュージシャン)」 索引件数 12件
件名索引: なごみ系 その二
 心もカラダも大満足。おやつのお菓子はこれでキマリ!
 なつかしの舶来菓子大集合!
「カステラ」 索引件数 41件
「月餅」 索引件数 5件
「クッキー」 索引件数 52件
「バウムクーヘン」 索引件数 9件

(索引件数は2003年12月26日現在)

→前回の索引紹介はこちら

人 名 編

“なごみ系ミュージシャン”集合!


◆森山直太朗 もりやま・なおたろう 1976年4月23日、東京都生まれ27才。B型。
 雑誌記事件数24件(2001年〜)
 

 2001年、ミニアルバム『直太朗』をインディーズレーベルでリリース。02年、『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャー・デビューを果たす。03年3月に発売のマキシ・シングル『さくら(独唱)』は独特の裏声ボーカルがブレイクし、文字通り桜前線のごとく日本列島を駆け抜け、80万枚を超す大ヒットとなった。卒業式の壇上でたったひとりで歌うイメージでピアノと歌声だけで真っ正面からぶつかった曲が、世代を越えて人々の心をとらえた。
 もの心ついてからは母親の森山良子を意識してカラオケさえ歌うのを拒み続けた。子供の頃からJリーガーを目指しサッカーに夢中だったが、20才でピリオドを打った。自分さがしの旅とともに、大学時代は劇場係のアルバイトなどをしていた。そのうちサラリーマンの適性がないことに気づき落ち込んだが、ある日ギターをつま弾いて音楽に目覚めた。その後は曲づくりに手を染めて、ストリートパフォーマンスにチャレンジしてライブハウス活動も展開した。
 第2作『いくつもの川を越えて生まれた言葉たち』から『夏の終わり』でも子供のころに見た風景や晩夏の思い出が去来する。三線や胡弓の伴奏がに哀愁をおびた島歌的なエッセンスがあふれ、田園の郷愁を誘う日本的な情感が好評を博している。
 日本語の美しさと行間やわびさびを通して日本人のDNAの中にある豊かな感覚を刺激したいという。やさしさとせつなさをはらんだ清澄なヴォーカルが伸びやかなメロディーと胸を打つ歌詞からなる楽曲を、“歌の郵便屋”のように遠くまで送り届けてくれるだろう。

タイトル 雑誌名 発行日 ページ

森山直太朗 「さくら」に命を吹きこんだ、母・森山良子の檄! 大ヒット青春ソングは夢の断念、音楽一家への反発に悩んだ自分自身の“旅立ちの歌”だった

女性自身

2003.06.10

213−215

森山直太朗 僕が歌う理由 ※ミニアルバム『いくつもの川を越えて生まれた言葉たち』リリース

オリコン

2003.06.16

94−98

インサイドレポート 「さくら」ロングセラーを生んだ森山直太朗のこだわりとは? ※ファンに生の歌声を届けるインストアライブはインディーズ時代から続いている

日経エンタテインメント臨増

2003.06.30

14

ef culture MUSIC 森山直太朗さん 自分の表現力が曲にようやく追いついて大勢の人の前で「さくら」を歌えるようになった

エフ

2003.07

200

CHECK IT OUT! 森山直太朗 曲が、とにかく人と触れたがってる ※新作ミニ・アルバム『いくつもの川を越えて生まれた言葉たち』

ロッキング・オン・ジャパン

2003.07

144−145

森山直太朗 道程 小・中・高と通った桜並木の道を思い出して、輝きの中にいたんだなあって「さくら」を書いた

BREaTH

2003.07

78−91

森山直太朗 大切なものはすぐそばにあって 何も属してない、しがらみのない中で、自分自身を評価してくれる場所が音楽だったっていうのが不思議で

音楽と人

2003.08

66−71

今、もっとも素顔が知りたい人 森山直太朗 二十歳の転機、『さくら』までの7年間。

JUNON

2003.10

38−39

現代の旬 森山直太朗 「フツー」でない歌うたい

GALAC

2003.12

8−9

森山直太朗 映像と音楽によってライヴとはまた違う1対1の関係を作れれば、と ※DVDアルバム『永遠はオルゴールの中に』

ザッピィ

2003.12

135


◆ノラ・ジョーンズ 1997年3月30日、米国ニューヨーク市生まれ。
 
雑誌記事件数11件(2002年〜)

 2003年度のグラミー賞でマイケル・ジャクソンと並ぶ8部門を制覇する偉業を打ち立て、一躍トップアーティストに躍り出た。02年2月、ブルーノートレーベルからアルバムデビューを果たした。ヒーリング系ミュージシャンがヒップホップ、ロック全盛のアメリカで打ち立てた大記録である。
 ノラ・ジョーンズはニューヨーク出身の23才。父は世界有数のシタール奏者のインド人、ラヴィ・シャンカール。ソウル、カントリー、ブルース、フォークなどさまざまな音楽的要素がブレンドされたスタンダード系の曲が、独特の深味のある甘い歌声と溶け合い、古きよき時代に誘われる。W9・11W以降のアメリカの心をいやしたと言っても言い過ぎではないだろう。ファーストアルバム『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』は米国内で500万枚のセールスとなり、世界で1000万枚を超える大ヒットとなっている。

タイトル 雑誌名 発行日 ページ

Tune In! ノラ・ジョーンズ ブルーノート新人は、エヴァーグリーン・ヴォイスの22歳

ミュージック・マガジン

2002.05

12−13

いま、興味人間 ノラ・ジョーンズ 「人生はすべて私が選んできたわ」 心地よい歌声に似合わぬ、力強い発言。

フィガロジャポン

2002.06.20

113

FRaU Gorgeous 拝啓ノラ・ジョーンズ様 耳に残るは、あなたの歌声 私が忘れていた、何か大事なことを思い出させてくれる音楽

FRaU臨増

2002.12.06

364−367

ノラ・ジョーンズ グラミー賞を制覇した美声の女神 “私はいたって普通。ラッキーなことは、誰にでもあるでしょ?”

ELLE JAPON

2003.05

40−43


◆女子十二楽坊 じょしじゅうにがくぼう
 雑誌記事件数12件(2003年〜)


 今年の夏から秋にかけて、インストルメンタルなCDがトップセールスを記録した。中国の古楽器を奏でる12人は、いずれも音大卒でコンクール入賞の華やかなキャリアをもつ中国美女たちだ。中国でのデビューは2001年10月、翌年は国内各地で100回以上の公演を重ね、03年1月の北京コンサートで大成功をおさめて、日本デビューを果たした。7月発売の日本デビューアルバム『女子十二楽坊〜ビューティフルエナジー』が120万枚を突破、年間売り上げでCHEMISTORYに次ぐ2位の座についた。中国古来の音色で大ヒット曲をカバーした戦略が功を奏したもの。Jポップやロックについていけず、ビジネスのストレスをいやしてくれる音楽に飛びついた社会人たち。仕事を持つ人々をターゲットに、定番の情報系テレビ番組や夕刊紙で絶妙なメディア露出作戦を行った。さらに2億円にのぼるテレビCMもダメ押しをかけた。
 中国古来の音色にポピュラー音楽を融合させた演奏スタイルが人気を呼ぶ。二胡4名、竹笛2名、琵琶3名、月琴3名の合奏にドラム、ベース、ギターが醸し出すリズム感が溶け合う。電子音楽全盛の中で、古楽器の音色が郷愁を誘う。11月発売の二枚目アルバム『奇跡』も20万枚を突破する勢いだ。

タイトル 雑誌名 発行日 ページ

今週の顔 女子十二楽坊 中国4000年の歴史を塗り替える“革命娘”はえらく熱いのです ※「ラブストーリーは突然に」など邦楽も収録のアルバム『女子十二楽坊』

SPA!

2003.08.05

デビューアルバム60万枚 平均年齢23才“才色兼備”なエリート楽団“女子十二楽坊” 中国式十二の美ルール つや髪・白肌の奥義伝授

女性セブン

2003.09.11

5−7

タブーに挑戦ワイド・この人たちの無敵!六甲おろし 「女子十二楽坊」大ヒットを生んだ“中国のつんく♂”黒髪セクシー大作戦 ※王暁京プロデューサーの戦略

週刊ポスト

2003.09.12

55

女子十二楽坊 1st.ライブに13時間完全密着! 「号泣!感謝!感激!日本人ってこんなに優しかったんだ…」

女性自身

2003.09.16

172−173

ニュース最前線 インサイド・アジア 中国であえて売らない女子十二楽坊の世界戦略 ※王暁京のプロモーション戦略

東洋経済

2003.10.11

23

松本人志のプレイぼーず2「好きか嫌いか」 94回 「女子十二楽坊」 女子十二楽坊も「中国の音楽を伝えたい」という純粋な気持ちで来てほしかった…

週刊プレイボーイ

2003.10.14

60−61

 


件 名 編

なつかしの舶来菓子大集合!
[分類]件名索引項目:16(世相)−009(食一般)−001『菓子一般』
索引件数5480件から抽出(データベース登録分4613件を含む)

有名パティシェの逸品ケーキもいいけれど、昔ながらの銘菓を口に含むと、何故か気分が落ち着く。年末年始は好きな飲み物でゆっくり楽しみたい。

◆カステラ 雑誌記事件数 46件(1976年〜)
 「カステラ1番、電話は2番、三時のオヤツは○○○」。1962年に始まった文明堂のCMソングは40年間、今も休まず流れている。カステラを贈答菓子ナンバーワンの座に押し上げた功績は大きい。
 カステラのルーツは紀元前3世紀のローマ帝国時代からスペインの修道院などで作られていたWビスコーチョWというケーキにさかのぼる。お祝い行事には欠かせない菓子とされていた。今から400年以上前の16世紀後半、長崎にやって来たポルトガルの宣教師や貿易商たちが日本に珍しいお菓子をもたらした。
 カステラは1571(元亀2)年、キリスト教や鉄砲とともに伝来され、炭火を使い和泉屋で初めて製造された。長崎の人々は南蛮渡来の菓子をスペインの古い国名、「カスティーリア」というポルトガル語にちなんで「カステラ」と名付けた。その後、珍味は日本人の口に合うように改良されて、長崎から京都、江戸に広まっていった。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、時の権力者たちもその味を愛で、千利休の茶席にも供された。1854年に突然、伊豆下田沖にやって来たアメリカの黒船艦隊、ペリー提督一行にもデザートとしてもてなされた。
 カステラ屋として名高いのは、古い順に福砂屋、松翁軒、文明堂などがある。1624(寛永元)年、第3代将軍徳川家光の治世に創業、380年の歴史を刻む、福砂屋では16代にわたり、独特な製法でつくり上げている。今もポルトガル人直伝の製法が伝承されている。銅製の鍋に40個分の卵の白身だけを落とし、20分間ホイップしてクリーム状にし、黄身を加えてさらにかき混ぜ、白ザラメ・砂糖・水飴・小麦粉を加えて撹拌する。生地を練りながらザラメが小さくなるまで溶かしてから矩形の木枠に流し込み、窯で8本分を一度に焼き上げる。卵の手割りから撹拌、窯入れまで一人の職人が一貫して仕上げるために、味も一品ごとにすべて異なるようだ。
 「カステラの黄なるやはらみ新しき 味ひもよし春の暮れゆく」と北原白秋が詠んだが、庶民には縁遠い高価な菓子で、大正期は初任給の3分の1くらいの値段だったそうだ。戦後、1950(昭和25)年に製造を再開したカステラは目の飛び出るほどの値段で、なんと一斤400円!当時、東京近郊の土地一坪が買える値段だった。近代化によって鶏卵の値段なども下がり、誰でも口にできるお菓子となった。茶色い薄皮を冠した黄金色のふっくらスポンジが新しい年の幸福を呼び込んでくれることだろう。

◆月餅 雑誌記事件数 5件(1991年〜)
 伝統的チャイナ・スイートの月餅(げっぺい)は文字通り、昔から月を愛でる菓子とされ、月宮餅とか団円餅とも呼ばれた。中国では明代から中秋の行事に、各地で手作りされ親戚や知人に贈る習わしだった。
 満月をかたどった円形で、大きなものは20センチから3センチほどの小さなものまで、中身もゴマ餡や木の実、栗、クルミ、蓮の実、ココナッツ、ドライフルーツ、ハム入りなど多種多様。大きい月餅はケーキのように平等に切り分けて仲良くいただいた。外皮の表面には月にまつわる寓話など、独特の美しい絵柄が彫り込まれている。日本では1927(昭和2)年に新宿中村屋の相馬愛蔵が製造販売してから80年近い定番菓子となっている。
 今宵、夜空を仰いで、あたたかい烏龍(ウーロン)茶の香りを楽しみながら、十二楽坊の音楽に包まれて、静かに味わいたい。

◆クッキー 雑誌記事件数 82件(1983年〜)
 日本のクッキーの母は泉園子という女性である。父が経営していた泉屋は大阪で貿易商を営んでいた。園子は転地先の和歌山でアメリカ人宣教師夫人からクッキー作りを教わり、1917(大正6)年、アメリカからオーブンを買い入れ、クッキーづくりに励んだ。その後、京都に移り住んだが、自家製クッキーが近所で評判となり、1927(昭和2)年に洋菓子店泉屋をオープンし日本で初めてクッキーを販売した。夫の死後、お店を京都から東京に移転し現在に至る。
 ホームメイドのカリッとした軽い風味を創業以来頑固に守っている。四角い金属製ケースの上ぶたに描かれたシンボルマーク、「浮き輪」は18種類のクッキーの一つ、「リングダーツ」の形にヒントを得たもの。困難の中でも沈まないようにみんなで力を合わせる精神を象徴している。パリっとした歯ごたえとあっさりした素朴な味わいにやみつきになるファンが多い。このところ乱立気味の洋菓子で片隅に追いやられた感もあるが、午後のティータイムはぜひこのクッキーで楽しみたい。

◆バウムクーヘン 雑誌記事件数 18件(1971年〜)
 古く古代ギリシャ時代から木の棒に巻き付けてパンが製造されていたが、その後、15世紀に卵や蜂蜜を加えた菓子が作られて、18世紀になるとバウムクーヘンが製造されるようになった。
 1919(大正8)年、バウムクーヘンが銀座のカフェで初めて製造販売された。中国から日本軍に強制連行されたドイツ人製菓マイスター、カール・ユーハイムが明治屋のカフェで名曲『ローレライ』を歌いながら焼いていものた。1922(大正11)年、エリーゼ夫人と横浜に第一号店を開き大成功をおさめた。翌年、関東大震災で焼け出され、5円札一枚を持って神戸に移住。わずか2ヶ月後には3階建て煉瓦造りの神戸初の洋館にユーハイムがオープンして、大評判となったが、1945(昭和20)年の終戦前日に店主カールが死去。跡継ぎ息子もドイツ軍に参加して戦死した。戦後、1947(昭和22)年、占領軍の命令でエリーゼ夫人は故国ドイツに追放されたが、ユーハイム再建後、1953(昭和28)年、社長に招聘されて亡くなるまで陣頭指揮をとった。
 創業以来、バウムクーヘンの製造法は不変。まず鉄の心棒に1メートル以上にわたり生地を薄く巻き付けてオーブンで焼き上げ、20回ほど繰り返し年輪状の焦げ目が出来上がり、ようやく完成する。まさに幾重もの年輪を経たケーキの王様である。年の節目に、来し方行く末に想いを馳せながら、是非賞味したいお菓子である。

タイトル 雑誌名 発行日 ページ

ルポルタージュ にっぽん斜覧(15) カステラの手づくり350年の味 長崎の老舗の伝統的な製法をみる!

週刊小説

1976.02.27

100−103

値段の明治・大正・昭和風俗史(164)カステラ―箱ごと一人で食べ通し

週刊朝日

1982.12.03

110−111

日本の菓子として400年 カステラ今昔物語 ※カステラの変遷と老舗紹介、カステラを愛した文豪など

サライ

1993.10.21

18−36

ご馳走の手帖 カステラの里帰り ※カステラのルーツ、スペインで売り出されることになった日本のカステラ

暮しの手帖別冊

1994.11.01

154−155

老舗の誇り “御用達”の銘菓 東京 文明堂のカステラ 日本人の嗜好が変えた南蛮渡来のハイカラ菓子

サライ

1999.08.19

28−29

暮しの手帖が選んだ誠実な食品 九州篇 万月堂 『かすていら』 ※長崎カステラ

暮しの手帖別冊

2001.09.01

150−155

mono BackGround モノづくりの背景を探る 銀座文明堂最高技術顧問、フードマイスター・森幸四郎 この歳になってもまだカステラ作りが好きなんです

モノ・マガジン

2003.03.16

134−135

スローフードの味 12回 松翁軒のカステラ 長崎県長崎市 生産者・山口貞一郎 製法は「織豊時代」のころより手作り 水飴と卵たっぷりの南蛮菓子

オブラ

2003.04

104−105

秋の味覚と素敵な集いの演出 名月と宴を楽しむ 名月の宴に 月見の元祖 中国の月餅は目にも舌にも楽し

家庭画報

1995.09

68−69

御菓子司風土記 17回 暑気をはらう黒砂糖菓子 ※『中村屋』(東京新宿)の月餅など十五夜にふさわしい菓子、『かぎ富』(京都)の“黒兵衛”など黒砂糖の菓子

旅の手帖

1997.08

71

感性いきいき生活実験室 299回 完成!横浜中華街的月餅

オレンジページ

2000.09.02

99−101

バウムクーヘンの年輪に刻んだ故ユーハイムさんの在日50年 女一人ドイツ菓子づくりの一生

週刊朝日

1971.05.21

121

この人のおかげです 日本初のバウムクーヘンを焼いたガンコ者ドイツ人の天皇観

週刊平凡

1984.01.26

33

モノ語り 仏料理・伊料理よりも深く根付いた 日本で育ったドイツの老舗 ユーハイム 余りにも有名なバウムクーヘンを日本に定着させた店

サライ

1994.06.16

92−93

歩く商品学 113回 バウムクーヘンの作り方 ※ユーハイムに聞く

週刊朝日

1995.10.27

107

気になるカラクリWATCHING 25回 バウムクーヘンってどうやって焼いているの? ※ユーハイム中央工場

オレンジページ

1998.04.02

139

101のアイデア バームクーヘンを焼いてみよう

暮しの手帖別冊

1998.05.01

34−35

“硬くてパサパサ”のイメージを覆す風格の本物をぜひ! しっとり「バウムクーヘン」、ここに再び ※店紹介

dancyu

2001.12

108−112

Gourmet 松任谷由実さんのお気に入り 「マッターホーン」のバウムクーヘン

an・an

2003.04.16

文士お気に入りの洋菓子。 谷崎潤一郎 ユーハイムのバウムクーヘン 『細雪』『蓼食ふ虫』に描いたドイツの味。

東京人

2003.10

124−125

感性いきいき生活実験室 374回 ホットプレートでくるくる巻いてバウムクーヘンができた!

オレンジページ

2003.12.02

107−109

 

※上記索引では、画面の制約上「記事種類」(グラビア、インタビュー、対談等)「執筆・発言者」の情報は割愛して掲載した。また、タイトルは、原則として原典に忠実に記したが、必要に応じて、※印以降に補足説明を付してわかりやすくした。

 

Copyright © 1998 財団法人大宅壮一文庫