序編 第1章 生と死

 今わかれてきた天皇の顔が、車の中におさまっても、(まぶた)からはなれない。ここ数年来、特別に、個人的に、親しみを加えてきた天皇ではあるが「御文庫(ごぶんこ)」での、今日の二人っきりの会談で肉親といってもいいような親しみが湧いてきた。
 やっと、危機はすぎた。一時はどうなることかと思ったが、もう大丈夫だ。
 馬場先門を出て、久しぶりで荻外荘(てきがいそう)に帰ろうかと思ったけれど、赤坂見附で、急に気が変わって、世田谷の後藤隆之助の家へと運転手に命じた。
 夕立があったせいか、ぬぐったように空気が澄んでいた。青山から渋谷に向かう途中、車の走る真正面の空に美しい夕映えの中から、富士山の姿がくっきりと見えた。それはこれまでに見たことのない、ビロードのような感触をもった、軟かく温い、橙色の富士である。それを眺めているうちに、彼のからだから〝死〟の恐怖が煙のようにぬけて行くような気がした。
 そのとき、彼の頭に、こんな考えが浮んできた。
 人間をはじめすべての生物は、自分の意志でこの世に生まれてきたのではない。それは望むことも、拒むことも出来ない宿命的現実である。年をとって、油のつきた鐙火のように死んでいくのも、自然の命令に盲従した死に方である。病気や事故で、早死にしたり、他人に殺されたりするのも、他律的な死である点において、変わりはない。せめて人間は、死ぬときだけでも人間らしい、自分の意志に基づいた死に方ができないものであろうか。
 その生涯において、どんな素晴しい事業をなしとげ、どんなに世間から尊敬をうけている人でも、年をとると歯や毛がぬけて、腰は曲り、眼はかすむ。やがて死期が近づいてくると、ひどい苦痛に襲われ、床の中でぶざまに悶え苦しむ、かつての威厳は見る影もなく、そこらの凡人と変わらぬ姿で、ぽかんと口をあけて死んで行く……
 これに反して、当人の生涯の事業が完成し、その功績が十分に世間に認められたとき、彼を知り、彼を尊敬している人々が一堂に会し、彼の徳をたたえる頌歌(しょうか)の大合唱が堂に満ちている間に、敬虔な態度で起立している大会衆の中を、この栄誉の人は、しゃんとたって、しっかりした足どりで、外に出る――まさに西空に没しようとする真赤な太陽に向って。そこで彼の姿は二度と見られなくなる……
 ――こういった死に方こそ、偉大な仕事をなしとげた人間に、ふさわしい最後ではなかろうか。
 これは、いつか読んだ小説の一節のような気もするが、いま自分が夕空の富士を見ているうちに、ふと思いついた素敵な独創のようにも考えられる。そしてそのシーンが、その主役を演じている自分の姿が、映画をみるように、瞼に浮んでくる。それは大礼(たいれい)使長官として、金色燦然(こんじきさんぜん)たる礼服をまとって、ご大典(たいてん)に列する自分であったり、大政翼賛会の創立大会において、国を挙げての感激の嵐の中に、総裁としての祝辞をのべる自分であったり……
 いつか、インドネシアの代表として日本にやってきたスカルノを、一夕彼の家に招じたとき雑談の間に、スカルノはこんなことをいった。地上に現存する極楽だといわれるバリ島では、葬式が人生最大の行事で、みなそのために営々として働いているようなものだ。特に王様の葬式ときたら大変なもので、小山のように大きな、見事に飾り立てた山車(だし)の中に遺骸を入れて、それに火を放つのであるが、そのとき王妃をはじめ寵妃(ちょうひたち)は、いずれもこれを最後と着飾って、その猛火の中にとびこんで殉死する。この風習はごく最近まで残っていた。そうすることが、彼女たちにとって、少しも苦痛ではなく、最大の名誉であり、喜びでもあった。王様が亡くなるとまるでお祭りにでも行くように、彼女たちは指折りかぞえて葬式の日を待ちわびる。いよいよその日がくると、朝から念入りに化粧した上、いかにも満足げに、にっこり笑って死んでいく――この心理は、その姿をまのあたりに見ても、欧米人には到底理解できないであろうと、スカルノはいった。
 しかし、彼には今、彼女たちの気持がよくわかるような気がする。日本の武士が、責任を感じて腹を切るのも、後世の人が想像するほど苦痛ではなかったろう。自らの責任において、死の時期と手段を選び、自らの手で生命を絶つことは、或る場合には、人生に対する厳重なる抗議であり、また或る場合には、人生の円満なる退職である。それは人間に与えられた、最後の、そして最大の権利であると共に、義務であるともいえよう。
 といって、それは単なる自殺であってはならない。追いつめられたものが、窮余の末、自らの手で死を選ぶのは、実は他殺の一形式にすぎない。ただ動物的心理を脱しえないものだけが自然死を望み、馬鹿者は他人の手にかかって死んでいくのだ。
 ――こんな風に考えてくると、急に気持が軽くなったような気がした。テロの恐怖におびえて逃げまわっている自分は、いかにもみじめに見えるけれども、やはりここのところは、どうしても生きのびねばならぬ。だが、こうして日夜〝死〟の問題にばかりとりつかれているのは或は神経衰弱のせいかもしれぬ、という気もした。
 急に車がとまった。気がつくと、もう深沢町の後藤の家まできていた。
 車の音に、後藤の長男が出てきて、門をあけてくれた。しばらく見ないうちに、一高時代の後藤を想わせるたくましい若者になっていた。
「このたびは、とんだことになりまして。」
 といって、あとは涙ぐむ後藤夫人に、彼はぶっきらぼうにいった。
「今夜一晩、ご厄介になりますよ。」
 後藤も在宅だった。
 この男は、彼とちがって、背が低く、頸が短く、ずんぐりで、がっしりしていた。まるで野性の牡牛か、激流の中に頭だけ出している岩のような感じだ。学生時代も今も、ちっともインテリらしいところはない。この男には、自分とはまるっきり別な血が流れているのだ。
 それでいて、どっちも無口な二人が、黙って対座していてもちっとも退屈しないばかりか、いらだった気持が静まってくるから不思議だ。
 その晩近衛は、久しぶりで熟睡したが、その後まもなく、〝死〟はまたも新しい扮装をこらして、彼の身辺にせまってきた。

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