1900年(明治33年)大阪府富田村(現在・高槻市)に父・八雄、母・トクの三男として生まれた。少年時代、各種少年雑誌に投稿、懸賞メダルを多数獲得。米騒動を煽動するような演説をしたということで、大阪・茨木中学を放校。家業の醤油屋を担いながら「専検」に合格し、旧制第三高等学校に進学。
1922年(大正11年)東京帝国大学文学部社会学科入学。新人会に所属、在学中より健筆をふるう。第二次大戦後、時代の風潮をみごとに裁断する独特な社会評論や人物評論で長くマスコミ界で活躍。自ら“無思想人”を宣言。明快な是々非々論で広く一般大衆の支持を得た。
新語づくりの名人でもあり、「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」などの造語を数多く生み出した。主な著作に、『文学的戦術論』『実録・天皇記』『世界の裏街道を行く』『無思想人宣言』『昭和怪物伝』『炎は流れる』などがある。
1970年(昭和45年)11月22日永眠。死の直前に大宅壮一ノンフィクション賞が創設され、ライターの登龍門となっている。
大宅壮一ノンフィクション賞について
死の前年にあたる1969年(昭和44年)、大宅壮一発案による大宅壮一ノンフィクション賞が財団法人日本文学振興会(株式会社文藝春秋)の協力を得て創設された。第1回は大宅壮一が自ら尾川正二氏に贈呈した。正賞は100万円(当初1,000ドル)。副賞として日本航空の協力による「世界一周航空券」が贈られる。「世界を見てほしい」との大宅壮一らしいアイデアによるもの。
同賞は最も歴史あるノンフィクション賞として、ルポルタージュ、内幕もの、旅行記、伝記、戦記、ドキュメンタリー等のノンフィクション作品を対象とし、ライターの登龍門となっている。 |